任意整理とは、弁護士や司法書士に依頼して債権者との間で債務の減額や利息や遅延損害金のカット、分割弁済の協議を行ってもらう債務整理手続きの一種のことをいいます。
任意整理は、法律(破産法や民事再生法)によって手続きが明確に定められた自己破産や個人再生など他の債務整理手続きとは異なり、あくまでも債務者個人と債権者である金融機関が双方の合意の下で債務の金額や分割弁済の協議を行う私的な示談交渉の場に過ぎませんから、一部の債権者だけを対象として、または一部の債権者を除外して手続きを行うことも可能です。
しかし、このように任意整理の手続きで一部の債権者だけを対象として、または一部の債権者を除外して借金の処理をすることができるとはいっても、むやみやたらに一部の債権者だけを優遇するような合意(和解)をしてしまった場合には、万が一後で返済が滞ってしまった場合に「偏波弁済(へんぱべんさい)」として問題にされるケースも無いわけではありません。
では、一部の債権者だけを対象としてまたは一部の債権者を除外して任意整理の手続きを行った場合において、具体的にどのような合意(和解)を債権者と取り交わした場合には、後に偏波弁済として問題になることがあるのでしょうか?
偏波弁済とは?
「偏波弁済(へんぱべんさい)」という言葉は弁護士や司法書士でない限りあまり耳にしたことがないと思いますので、ここで改めて解説しておきましょう。
「偏波弁済」とは、多重債務に陥って複数の債権者からお金を借りている人が、特定の債権者にだけ「偏った」返済をしてしまうことを言います。
たとえば、多重債務者のXさんが貸金業者のA社・B社・C社からそれぞれ100万円ずつお金を借りている場合を例に考えてみると、仮にXさんが貯金として預金している90万円を返済に回そうと考えている場合では、すべての債権者を平等に扱おうと考えた場合には、XさんはA社・B社・C社にそれぞれ30万円ずつを返済しなければなりません。
しかしこの場合、仮にXさんが何らか理由で「A社とB社にだけ優先的に返済しよう」と考えて、この90万円の貯金をA社とB社にだけ45万円ずつ支払ってA社とB社の借金だけを優先的に一部弁済してしまうことがあります。
このように特定の債権者にだけ「偏った」返済をしてしまうことを「偏波弁済」といいます。
このような「偏波弁済」が行われてしまった場合には、A社とB社は優先的に弁済を受けて利益を受けることができる反面、C社は貯金から返済を受けることができずに不利益を受けてしまうことになりますから、当然、C社としては「なんでA社とB社にだけ返済してうちには返済しないんだよ!」「90万円貯金があるんだったら30万円ずつ平等に弁済しろよ!」と文句の一つも言いたくなるでしょう。
この点、自己破産の手続きでは、このような「偏波弁済」があった場合には、免責不許可事由として免責を許可しない(自己破産をしても借金の返済免除を認めない)のが原則的な取り扱いをしていますので、自己破産の手続きを行う際には、この「偏波弁済」は禁じられることになります(破産法第252条第1項3号)。
【破産法第252条】
第1項 裁判所は、破産者について、次の各号に掲げる事由のいずれにも該当しない場合には、免責許可の決定をする。
第1号~2号(省略)
第3号 特定の債権者に対する債務について、当該債権者に特別の利益を与える目的又は他の債権者を害する目的で、担保の供与又は債務の消滅に関する行為であって、債務者の義務に属せず、又はその方法若しくは時期が債務者の義務に属しないものをしたこと。
(以下、省略)
しかし、前述したように、任意整理の手続きは自己破産のように法律(破産法)で手続きが定められた法定の手続きではありませんから、当然、このように「偏波弁済」自体を禁止する規定も存在しません。
そのため、任意整理の手続きで借金を処理する場合には、この「偏波弁済」という特定の債権者にだけ優先的に弁済をしてしまうことも、それ自体は否定されないことになるのです。
任意整理における偏波弁済は後に自己破産に移行する際に問題にされる場合がある
前述したように、任意整理の手続きは法定の手続きではありませんから、自己破産のように「偏波弁済」自体を禁止する法律も存在しません。
そのため、任意整理の手続きにおいて特定の債権者にだけ優先的に弁済する「偏波弁済」を行うか行わないかは、債務者個人(または依頼を受けた弁護士や司法書士)の判断(個人の思想や道徳観念)に委ねられることになります。
しかし、任意整理の手続きでは法律で「偏波弁済」が禁止されていないからといって、任意整理の手続きにおける「偏波弁済」が全く問題にならないわけではありません。
なぜなら、仮に任意整理で一部の債権者との間で分割弁済の協議を行ったとしても、その任意整理後の分割弁済期間中に返済が滞ってしまった場合であったり、その任意整理から除外した債権者への弁済が滞ってしまった場合には、最終的に自己破産で処理しなければならないことになるからです。
任意整理で分割弁済を組んだ後に自己破産をするしかなくなった場合には、当然その自己破産の手続きにおいて「過去に行った任意整理で偏波弁済をしたこと」が問題とされることになるのは避けられないでしょう。
たとえば、前述の多重債務者のXさんが貸金業者のA社・B社・C社からそれぞれ100万円ずつお金を借りており貯金が90万円あった場合を例に考えてみると、仮にXさんがA社とB社だけを任意整理の対象として弁護士や司法書士に依頼して、90万円の貯金をA社とB社にだけ45万円ずつ支払ってA社とB社の借金だけを優先的に一部弁済をし、A社とB社の残りの債務55万円ずつを分割弁済で支払うという合意(和解)をA社とB社との間で取り交わしたとします。
(※なお、この場合C社としてはXさんのA社・B社に対する偏波弁済について納得できないかもしれませんが、XさんとA社・B社の間で行われた任意整理の事実はXさんがC社に自ら申告しない限りC社に知られることはないのでC社から「偏波弁済は不公平だ!」と抗議されることもありません)
この場合、任意整理後のXさんは、A社に対して55万円、B社に対して55万円、C社に対して100万円の債務を未だ負担していることになりますから、A社とB社の残債務については任意整理で合意した分割弁済計画にしたがって、C社の残債務については当初の契約に従って返済をしていかなければなりません。
仮に、この任意整理後にXさんがA社・B社・C社の債務をすべて計画(契約)通りに返済できるのであれば、XさんがA社とB社に行った任意整理の手続きにおける偏波弁済は何ら問題にはなりません。
しかし、もし仮に、XさんがA社やB社、もしくはC社への返済が途中で滞ってしまい、その後の返済が困難で自己破産をしなければならなくなった場合には、自己破産の手続きにおいて、「Xさんが任意整理の手続きにおいて、C社を除外してA社とB社に対してだけ貯金の90万円を切り崩して返済をした」という「偏波弁済」の事実が問題になることになります。
このように、任意整理の手続きにおいて偏波弁済をすること自体は否定されませんが、任意整理の手続きが終了した後に自己破産の手続きに移行せざるを得なくなった場合には、その自己破産の手続きにおいて過去の任意整理で行った偏波弁済が問題となってしまうことがあるということは、十分に認識しておかなければならないといえるでしょう。
任意整理で偏波弁済する場合に注意すべきこと
以上のように、任意整理の手続きにおいて偏波弁済をすること自体は否定されませんが、任意整理の手続きが終了した後に自己破産の手続きに移行せざるを得なくなった場合には、その自己破産の手続きにおいて過去の任意整理で行った偏波弁済が問題となってしまうことがあります。
では、このような問題を回避するためにはどうすれば良いかというと、一番安全なのは、任意整理の手続きにおいても「債権者平等」の原則を曲げないように、偏波弁済にあたるような債権者との合意(和解)をしないようにすることです。
前述の例でいえば、Xさんは90万円の貯金をA社とB社に優先的に弁済してしまったことが偏波弁済になるのですから、そもそもこの90万円の貯金を任意整理で弁済に充てずにそのまま貯金しておき、A社とB社に対するそれぞれ100万円の債務を3年以内の分割で支払うというような弁済計画で和解(合意)をしておけば仮に後で自己破産に移行したとしても偏波弁済は問題にならなかったはずです。
また、仮に貯金の90万円をA社とB社の返済に充てるとしても、90万円をA社とB社で案分するのではなく、例えば90万円を3等分して任意整理の手続きでA社とB社に30万円ずつ弁済したうえでA社とB社の残債務70万円ずつを分割弁済で和解(合意)をし、貯金の残額30万円はそのまま貯金しておくなどしておけば、仮に自己破産に移行せざるを得なくなった際に偏波弁済が問題になったとしても、その30万円がある限りC社の利益を害することにはなりませんから、「偏波弁済したけれども30万円はC社の分として取って置いたのでC社への配当原資にしたい」と申し出れば裁判官の心象も悪くなくなり裁判官の裁量で免責が受けられる可能性もあるかもしれません。
このように、仮に任意整理の際に偏波弁済をしなければならない何らかの事情があったとしても、その後の返済が行き詰まって自己破産に移行せざるを得なくなった場合のことも想定したうえで「債権者平等の原則」を損なわない範囲で偏波弁済をとどめておくことができれば、仮に任意整理の後で返済が滞り自己破産に移行した場合であっても、偏波弁済が問題にならない(または問題になっても裁判官の裁量で免責に持っていける)のではないかと思います。
もっとも、このあたりの偏波弁済の可否については任意整理を依頼する弁護士や司法書士が十分に検討してくれるでしょうから、あまり債務者本人が深く考えることではないかもしれません。
しかし、このようにたとえ任意整理の手続きであっても偏波弁済が問題になるケースがあるということは、任意整理で借金を整理するうえで認識しておいた方が良いのではないかと思います。