自己破産する人は「人間のクズ」なのか?

自己破産の手続き自体に否定的な感覚を持つ人の中には、「自己破産する人は人間のクズだ」と厳しい意見を言う人がいます。

また、友人や親族が自己破産した結果、その友人や親族に貸したお金の弁済を受けられなくなってしまった人の中にも、「自己破産するなんて人間のクズだな」などと声高に批判する人も少なくありません。

このように、自己破産することは社会一般では好ましく思われていないのが現実ですから、自己破産が避けられない状況に陥ってしまった人にとって自己破産することは非常に抵抗のある行為となります。

しかし、本当にそうなのでしょうか?

自己破産する人は本当に「人間のクズ」になってしまうのでしょうか?

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返済しようと努力しても返済できないからこそ自己破産が必要

前述したように、自己破産する人に対して否定的な意見を持つ人は多くいるのが実情ですが、自己破産する人も好き好んで自己破産しているわけではありません。

返済しようと一生けん命働いて努力しても借りたお金を返すことができないから、最終的な手段として自己破産を選択しているのです。

もちろん、自己破産する人の中には、働いて返そうという意思もなく、自己破産すれば借金を返済しなくても良いことを認識したうえで借り入れを行い借金を踏み倒す人もいるのは事実でしょう。

しかし、そのような不届き者はごく少数であって、ほとんどの人は返そうと努力しても返せないという現実から逃れられないわけですから、そのような人を救済する必要性があるのはむしろ当然といえます。

自己破産の可能性は誰にでもある

自己破産する人は何も最初から借金を踏み倒そうとしてお金を借りているわけではありません。

仮に最初から返すつもりがなかったのであれば、それは単なる「詐欺」に過ぎませんから、自己破産が気に入らないのであれば警察に被害届を出せばよいだけでしょう。

自己破産する人であっても当然、最初は返す意思はあったはずですし、最初は十分に返済することができると思ったからこそ融資を受けだけにすぎないのです。

予定通りに進む人生などありませんから、返済の途中で何らかの予定に乱れが生じたり、予期せぬ事情が発生し返済ができなくなって自己破産する…という人が出てしまうのは、当然といえば当然です。

もちろん、中には最初から「なんとかなるだろう」という甘い考えで借金をしてしまう人も少なからず存在するのは事実です。

ですが、たとえそうであったとしても、将来のことはどうなるかわからないのが人生であって、誰にでも自己破産する可能性はあるといえますから、自己破産するからといってその人の人格を否定してしまうのは同意できません。

お金を貸した側にも判断を誤ったという責任はある

確かに、「借りたものは返す」というのは道徳的に正しいかもしれませんから、自己破産によって貸したお金が返ってこない債権者の側からすれば、自己破産する人に対して否定的な感情を持つことも致し方ない面もあるでしょう。

しかし、「この人にお金を貸しても返してもらえない」と始めから分かっている人にお金を貸す人はいないでしょうから、お金を貸しているということは「この人なら貸しても返してもらえる」と判断したからこそお金を貸したのであって、誰かに強制されたわけでもないはずです。

そうであれば、その判断自体には自分で責任を持つほかありません。

「貸さない」という選択肢もあったのに「貸す」という選択をしたのは自分自身なのですから、その自分の判断が誤っていたからといって、その判断の過ちを自己破産した相手に対して転嫁することは、果たして正しいことなのか、という疑問が生じます。

もちろん、自己破産してしまったお金を借りた本人が「お金を貸したお前が悪い」と開き直るのは許されませんが、客観的に考えると、自己破産してしまうような人にお金を貸してしまった債権者自身に責任があるわけですから、その責任を棚に上げて自己破産する人だけを非難することは適当とは言えないのではないかと思います。

自己破産という制度がなければ一部の債権者だけが得をし不公平な結果となる

自己破産した人を「人間のクズ」と非難することは簡単ですが、では自己破産という制度がなかったらどうなるでしょうか?

自己破産の制度がなかったら、その借金の返済ができなくなった債務者は、自分の返済したい債権者にだけ返済してしまうのではないでしょうか?

例えば、銀行とクレジット会社と友人からそれぞれお金を借りている債務者が自己破産できないとなると、その債務者は自分の日常生活に直接影響のある友人にだけ借金を返済してしまうことになるでしょう。

そうなると、弁済を受けられない銀行やクレジット会社だけが弁済を受けられず損失を被る反面、友人だけは弁済を受けられて損失を受けないことになって不公平な結果となってしまわないでしょうか?

また、仮に自己破産の制度がなかったとしたら、債権者は早い者勝ちで債務者の資産を差し押さえて売却し、自分の貸金だけを回収しようとするのではないでしょうか?

例えば、貸金業者A・B・C社が債務者にそれぞれお金を貸している状態で、債務者が車を所有していたとしたら、A・B・C社のうち早く差押えをした業者だけがその車からお金を回収することができる一方で、他の2社は何ら弁済を受けることができなくなってしまい不公平な結果になりはしないでしょうか?

自己破産の手続きは借金の返済を免除する手続きですが、それと同時に債務者の資産を清算し、債務者の保有する資産(財産)から債権者に平等に配当を行う手続きでもあります(破産法第1条)。

【破産法第1条(目的)】

この法律は、支払不能又は債務超過にある債務者の財産等の清算に関する手続を定めること等により、債権者その他の利害関係人の利害及び債務者と債権者との間の権利関係を適切に調整し、もって債務者の財産等の適正かつ公平な清算を図るとともに、債務者について経済生活の再生の機会の確保を図ることを目的とする。

「自己破産する人間はクズだ」という人は、仮に自己破産の手続きがなかった場合のことは考えているのでしょうか?

自己破産という制度がなかったとすれば、損をするのは債権者自身なのですが…

自己破産を認めない人は奴隷にしてでも返してもらいたいと思うのか?

「自己破産する人間はクズだ」と主張する人は「借りたものは返せ」という道徳観念からそのような主張に行きつくのだろうと思いますが、ではそのような道徳観念の元で自己破産できない場合、その借金を抱えた人はどのようになるでしょうか?

返せない借金を返済するために寝る間も惜しんで働きづめに働くほかありません。

これを突き詰めていくと、その債務者が男であれば「返せないんだったらマグロ漁船に乗せるぞ」とか、女であれば「体で稼いでこい」という主張もまかり通ることになってしまいます。

しかし、それでよいのでしょうか?

そのようになってしまったら、それはもう借りたお金を返せない人は奴隷になっても仕方ないということと同じです。

そのような主張がこの現代社会で認められるのかという点を考えなければなりません。

最後に

以上のように、「自己破産する人間はクズだ」という主張は、到底同意できない意見といえますので、そのような意見を真に受ける必要はないといえます。

もちろん、安易な借り入れはすべきではありませんが、自己破産すること自体は道徳的に非難されるものではないことは理解してほしいと思います。