自己破産は「恥ずかしいこと」ではない7つの理由

「自己破産するのは恥ずかしい」と考えて、借金で首が回らなくなっているにもかかわらず、無理を重ねて借金の返済を続けてしまう人がいます。

また、自己破産してしまった人に対して「自己破産するなんて恥ずかしい奴だ」と、侮蔑してしまう心ない人もいるようです。

しかし、自己破産することは本当に「恥ずかしい」ことなのでしょうか?

やむに已まれず自己破産してしまった人は本当に「恥ずかしい人」なのでしょうか?

私はそうは思いません。

なぜなら、次に挙げる7つの理由を考えれば、破産することが「恥ずかしいこと」とは到底考えられないからです。

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【1】「借りたものは返す」という道徳に反することにはならない

「自己破産することは恥ずかしい」と考えている人がなぜ自己破産することを「恥ずかしいこと」と考えるかというと、それはおそらく「借りたものは返す」という道徳観念が根底にあって、その道徳に反する結果となる「破産」という手続きが許せないからでしょう。

「自己破産する」ということはすなわち「借りたお金を返さない」ということを裁判所によって合法的に認めてもらう手続きですから、それは「借りたものは返す」という道徳を破る行為であって許せないと考える人がいるのは頷ける点ももちろんあります。

しかし、「借りたものは返す」という道徳観念は、そもそも「故意」を前提としているものであって「過失」を前提とするものではありません。

「借りたものは返す」という道徳は、「借りたものは貸してくれた人のものだから自分のものにしてはいけませんよ」という意味であって、「借りたものを故意に返さないのは悪いこと」ということを言っているにすぎないでしょう。

すなわち「借りたものは返す」という道徳は「借りたものを”故意”に”返さない”のはいけない」ということを言っているのであって、「借りたものを”過失”で”返せなくなって”はいけない」ということを言っているのではないのです。

この点、自己破産する人というのは「借りるときは返す意思があった」のであって「借りるときは返す当てがあった」のですから、「故意に」借りたお金を「返さない」わけではなく、「何らかの予期せぬ事由」があって「返せなくなった」にすぎません。

もし仮にその人が最初から「返すつもりがない」のにお金を借りて自己破産したのであれば、それはもう道徳云々の話ではなくて「お金をだまし取る」という「詐欺」になるでしょう。

もちろん、その「返すあてがあった」とか「予期せぬ事由によって返せなくなった」という点に、「甘い見通し」や「不注意」があったのは間違いありませんし、無駄な浪費や散財があったのであればその点は当然、反省すべきであろうと思いますし、非難されてしかるべきとも思えます。

しかし、それはあくまでも「過失」や「不可抗力」によって生じた結果であって「故意」はないのですから、「故意」を前提とする「借りたものは返す」という道徳に反することにはならないでしょう。

そうすると「借りたものは返さなければならない」という道徳をもって自己破産する人のことを「恥ずかしい」と非難することは、それ自体が「借りたものは返す」という道徳を正しく理解していない誤った考えということができます。

「借りたものは返さなければならない」という道徳はあっても「借りたものを返せなくなってはならない」という道徳はないのですから、「借りたお金を返せなく」なった自己破産する人に対して「借りたお金を返さないなんてけしからん」などと非難することは到底同意できるものではないのです。

【2】自己破産を「恥ずかしい」として忌み嫌うなら誰もチャレンジしなくなる

自己破産の手続きが否定されるとなれば、いったん過大な債務を背負ったら一生をかけてその債務を返済していかなければならず、その時点でその人の人生は「詰んで」しまうことにもなりかねません。

しかし、自己破産の手続きがあれば、負担している債務(借金)の返済義務を法的に免除してもらうことができるのですから、自己破産することでその債務者は人生をやり直すことができるのでしょう。

破産手続きの真の意味はそこにあります。

破産法の1条にも記載されていますが、破産手続きの目的は「債務者について経済生活の再生の機会の確保を図ること」であって、何らかの事情で過大な債務を負担することになった債務者に再び社会で活躍する機会を与える点にあるのです。

【破産法1条】

この法律は、支払不能又は債務超過にある債務者の財産等の清算に関する手続を定めること等により、債権者その他の利害関係人の利害及び債務者と債権者との間の権利関係を適切に調整し、もって債務者の財産等の適正かつ公平な清算を図るとともに、債務者について経済生活の再生の機会の確保を図ることを目的とする。

もし仮に「破産」という手続きがなかったとしたら、この世の中はどうなるか考えてみてください。

一度でも失敗するだけで再生の機会を与えられないとなれば、お金を借りてまで事業を始めようとは誰も思わないはずです。

そうなれば、世の中から新しい発明や商品は生まれてこなくなり、経済が停滞してしまうだけでしょう。

お金で失敗しても何度でもやり直せる社会であるからこそイノベーションは生まれるのであって、失敗した人に再生の機会を与えない社会に希望はありません。

自己破産を「恥ずかしい」として忌み嫌うのは簡単ですが、その結果誰もチャレンジしなくなる社会を想像してみれば、破産手続きの必要性は理解してもらえるのではないでしょうか。

【3】破産手続きは「債権者」のためのものでもある

自己破産を「恥ずかしい」ものだと考えている人は、おそらく破産手続の目的を正しく理解していません。

なぜなら、破産手続きはなにも債務を抱えている債務者(自己破産の申立人)のため「だけ」にあるものではなく、債権者のためのもので「も」あるからです。

先に挙げた破産法の1条を見てもらえばわかりますが、そこには破産法の目的として「債務者の財産等の清算」をすることによって「債権者その他の利害関係人の利害」と「権利関係」を「適切に調整」して「債務者の財産等の適正かつ公平な清算」を図ることが明確に規定されています。

【破産法1条】

この法律は、支払不能又は債務超過にある債務者の財産等の清算に関する手続を定めること等により、債権者その他の利害関係人の利害及び債務者と債権者との間の権利関係を適切に調整し、もって債務者の財産等の適正かつ公平な清算を図るとともに、債務者について経済生活の再生の機会の確保を図ることを目的とする。

すなわち、自己破産の手続きは「債務者の負担する債務の返済を免除する」手続きである一方で、「その債務者が所有している資産を公平に債権者の間で分配する」手続きでもあるのですから、破産の手続きで利益を受けるのは債権者も同じなのです。

もし仮に「破産」という手続きがないとしたら、債権者は早い者勝ちで債務者の資産を差し押さえて自分の不良債権を我先にと回収することになってしまうでしょう。

そうなると、人的資源や訴訟に費やす資力のない弱い立場にある債権者は、一切債務者の資産から配当を受けることができなくなり、強い立場の債権者と弱い立場の債権者との間で不公平な結果となってしまいます。

しかし、破産の手続きがあれば、すべての債権者がその債権額に応じて平等に扱われることになるのですから、破産の手続きがあることによって弱い立場の債権者も強い立場にある債権者と同様に公平な配当を受けることができるのです。

例えば、100万円の資産を有している債務者が借金の返済ができなくなった場合に大手の金融機関と個人の2つの債権者があったとすると、もし仮に破産の手続きがないとすれば資金力と人的資源に勝る大手の金融機関が素早く訴訟をしてその債務者の100万円を独占してしまうことになるでしょう。

しかし、破産という手続きがあれば、大手の金融機関が訴訟をして100万円の資産を差し押さえたとしても個人の債権者も平等にその100万円の資産から配当を受けることができることになるので弱い立場にある個人の債権者も破産手続きによって平等に利益を受けることができるわけです。

このように、破産手続きは「債権者の公平な利害関係の調整」のための手続きでもあるのですから、債務者のことだけを考えて「自己破産することは恥ずかしい」と非難するのは明らかに破産の手続きを誤って理解したにすぎないバカな意見ということが言えます。

【4】浪費やギャンブルなどを理由とする自己破産であっても「破産すること」自体は恥ずかしいことではない

自己破産する人の中には、ギャンブルや風俗、浪費や散財に溺れて債務を雪だるま式に増やしてしまった人もいるのが実情ですから、そのような射幸行為や浪費等で借金が返せなくなって自己破産した人に対して「自己破産することは恥ずかしいことだ」と非難してしまう気持ちもわからなくはありません。

しかし、その場合であっても「自己破産することは恥ずかしい」と非難するのは間違っています。

なぜなら、この場合に債務者が反省すべきは「浪費やギャンブルに溺れたこと」であって、「自己破産すること」ではないからです。

先にも述べましたが、破産手続きは「債務者の生活の再建」を図ることを目的としてるものであって、失敗した人にもう一度人生をやり直してもらうために設けられた手続きです。

もちろん、借金をしてまで「浪費やギャンブルに溺れること」は褒められたものではありませんが、そこで反省すべきは「浪費やギャンブルに溺れてしまった弱さ」であるべきです。

自己破産することは「それまでの借金の返済を免除してもらって再出発すること」を意味するのですから、そういった「人生をやり直す行為そのもの」を非難すべきではないでしょう。

「浪費やギャンブルに溺れること」自体は真摯に反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしなければなりませんが、その過ちを真摯に悔い改めて「自己破産によって生活を再建させること」自体はなんら「恥ずかしいこと」ではないのですから「自己破産は恥ずかしいこと」という意見は的外れな意見ということが言えます。

【5】破産手続は破産法という法律で認められたものであって、立法された時点で国民から承認されている

自己破産の手続きは、破産手続きのルールを定めた破産法という法律にその詳細が定められていますから、「自己破産する」ということは「法律で認められた行為」を「法律に定められた手順に沿って」ただ粛々と履行しているだけにすぎません。

すなわち、自己破産するということは、国が定めた法律に従ってその法律に定められたとおりに手続きを進めているだけにすぎないのです。

この点、その破産法という法律は、法律である以上、国民の自由選挙によってえらばれた国会議員が構成する国会で正当な議決をもって立法されたことになるわけですから、その破産法で認められた「自己破産」という行為そのものも、あらかじめ国民の信託を受けて成立された、国民自身が作った法律ということになるでしょう。

それなのに、その破産法という法律を作った張本人である国民が、その自ら作った破産法に従って破産した人に対して「自己破産することは恥ずかしいこと」と非難することは、果たして認められるでしょうか?

「自己破産することは恥ずかしい」と言う人は、「自分は破産法なんて法律は作っていないから自己破産する人を非難してもよい」とでも思っているのでしょうか?

もちろん、破産法が初めて制定されたのは明治時代までさかのぼりますから、今生きているほとんどの人は破産法の制定に関与していないと思います。

しかし、日本国民であるならば、今現在成立している法律の立法過程に直接関与していなくても、現時点で施行されている法律には責任を持たなければならないのは当然です。「自分が選挙権を与えられる前に制定された法律なんか知るもんか」といった意見は認められないからです。

そうであれば、「自己破産することは恥ずかしい」といった意見が間違っているのはわかると思います。自分で破産法という法律を作っておきながらその法律を利用して破産した人を「恥ずかしい」と侮蔑するのがおかしいことは誰だってわかるでしょう。

デザイナーが自分でデザインした洋服を着て街を歩いている人に「お前ダセー服着てんな!」とバカにするのがいかに間抜けな批判なのかは、誰だってわかるはずです。

ですから、自己破産が破産法という法律で認められた制度であるということを考えても、「自己破産することは恥ずかしい」という意見が間違っていることは明らかであるといえます。

【6】自己破産する可能性は誰にでもあること

「自己破産することは恥ずかしいこと」だと非難する人は、自分は自己破産しないとでも思っているのでしょうか?

住宅ローンの抱えた状態で勤務先が倒産してしまったら?…子供が高額な医療費を必要とする病気に罹患して多額の医療費を賄うために借り入れをしたもののその返済が行き詰ってしまったら?…車の運転中にちょっとした不注意で事故を起こしもしも任意保険で賄えないほど多額の賠償を求められた場合は?…家族や友人の保証人になった後にその家族や友人が破綻してしまったら?…

数え上げるときりがありませんが、どんなに堅実な生活をしていたとしても何かのきっかけやちょっとした判断の誤りで多額の負債を抱えてしまう可能性は誰にでもあるはずです。

「自己破産することは恥ずかしい」と非難する人は、たまたま運よく自分が自己破産しなかっただけであって、ちょっとした「人生のずれ」があれば自分が自己破産していたかもしれないことに気付くべきでしょう。

債務の返済が不能になるような事態は、資本主義社会で生きている以上、国民すべてに起こり得るリスクと言えるのですから、自己破産した人に対して「恥ずかしい」と非難することは到底認められるものではないといえます。

【7】自己破産で免責される債務は「自然債務」になるだけで借金自体が「チャラ」になるわけではない

「自己破産することは恥ずかしい」と非難する人の意識の中には、「借りたお金を自己破産でチャラにしてもらうなんてけしからん」という考えがあると思うのですが、理論的に考えるとその考えは間違っているといわざるを得ません。

なぜなら、自己破産すると「借金がチャラになる」と勘違いしている人は多いですが、正確にいうとこれは誤りであって、自己破産しても借金は「チャラ」にはならないからです。

破産法の免責の条文(破産法253条1項)を見てもらうとわかりますが、免責(借金の返済義務が免除されること)によって免除されるのは、債務を返済しなければならない「責任」にすぎません。

【破産法253条1項】

免責許可の決定が確定したときは、破産者は、破産手続による配当を除き、破産債権について、その責任を免れる。(但書省略)。

もちろん債務の返済義務という「責任」を免除されるということは「借金の返済をしなくてよくなる」ということになり、債権者は一切「返せ!と言えなくなる」のですが、「借金自体が消えてなくなる」わけではないのです。

自己破産の免責が認められれば、それまで負担していた「借金を返済しなくてよくなる」わけですが、理論上は「借金自体」は永遠に存続し続けることになるのです。

こういった「債権者から返済しろと言われくてよくなったけど理論上は存在し続ける債務」のことを法律上は「自然債務」といいますが、自己破産しても借金自体は「自然債務」として残り続けるわけです。

このように、自己破産で免責された債務が「自然債務」になることを考えると、「自己破産することは恥ずかしい」と非難する意見が間違っていることがわかるでしょう。

自己破産しても理論的には借金は「チャラ」にはならないのですから、理論的には自己破産で免責を受けたとしても、ただ単に「法的に債権者から返せといわれなくなっただけ」であって「借金がチャラ」になったわけではないからです。

「自己破産することは恥ずかしい」という非難は、破産における免責の効果を理論的に考えれば、明らかに根拠のない意見ということになるのです。

最後に

以上のように、「自己破産することは恥ずかしい」と非難する意見があることは心情的には理解できますが、冷静に考えるとその意見が到底同意できない非難であることがわかります。

自己破産することは「恥ずかしいこと」ではありませんし、自己破産した人に対して「恥ずかしい」と非難することは明らかに間違っているということが言えるのですから、これから自己破産しようとする人においても、これまで自己破産した人に対しても「恥ずかしい」などという気持ちを抱かないようにしていただければと思います。